【埼玉の社長に訊く起業ストーリー】はシェアオフィス6Fのスタッフが埼玉県内で活躍する「社長」を訪ね、お話を伺う連載です。
埼玉県さいたま市に事業所を構える株式会社チェリービー。企業の魅力を伝えるプロモーション動画や採用説明会で上映するための採用ドキュメント動画、ミュージックビデオ、イベント当日の様子を閉会までに撮影・編集して上映する「撮って出し」の動画などを手掛ける「『こだわり』と『想い』を伝える映像会社」です。
代表取締役の山口正人さんは、20年に渡り映像の世界に携わるプロフェッショナル。プライベートでは2児のお父さんであり、「子ども大学SAITAMA」の実行委員も務めます。
今回は山口さんに、チェリービーの起業ストーリー、映像制作と会社経営への想い、そしてこれからの取り組みについてお話を伺いました。
高校まで兵庫県の淡路島で過ごした山口さんは、小さな頃からテレビっ子だったそう。映像の世界に進んだきっかけは、小学3年生の時に図書館で出会った一冊の本でした。
その本がきっかけでテレビの世界に興味を持ったという山口さんは、大学でマスコミ学を専攻。卒業後は東京のテレビ番組制作会社へ就職し、映像制作のキャリアをスタートさせました。
制作会社ではAD(アシスタントディレクター)として、情報番組のリサーチなど裏方の仕事全般を担当。仕事はとても楽しく、当時の山口さんは起業・独立なんて全く考えていなかったそうです。
その後、別の制作会社への転職を経てディレクター職に。ドキュメンタリーをはじめとする番組制作に情熱を傾ける日々を送りました。
山口さんは特に記憶に残っている当時の仕事として「突撃!隣の晩ごはん」を挙げます。
突撃!隣の晩ごはん(とつげき!となりのばんごはん)とは、1985年から2011年までの間に日本テレビ系列のワイドショー・情報番組等で放送され、2016年よりBS日テレで放送再開したヨネスケ出演のコーナーである。
ヨネスケが全国各地を訪れ、夕食(晩ごはん)の時間帯に何の予告もなくその町の一般家庭を訪ね、夕食の様子を撮影する。夕食の支度中や夕食が済んだ後でも、夕食に何を食べる(食べた)かを紹介する。
この番組の担当は自分の天職だと勝手に思ってました(笑)。僕は番組ディレクターとして、出演してくださる御家族を探すリサーチもしていました。番組名は伏せながら、一週間ぐらいかけて自分の足で探すんです。
僕はこの番組を、出演してくださる御家族のための番組だって考えていました。今思うと、「目の前の人のための番組作り」が楽しい、これが好きかも、っていうのはこの番組に携わって気がつきましたね。
「目の前の人のための番組作り」の楽しさに目覚めた山口さん。ではなぜ独立し、映像会社を立ち上げることになったのでしょうか?
そのきっかけを作ったのは、番組制作会社で出会い結婚した奥様・亜希子さんでした。
亜希子さんは番組制作会社を退職し、都内の別の会社へ就職しました。彼女が働くことになったのは、ブライダルビデオ事業部「チェリービー」。そう、現在山口さんが代表を務める会社の名前です。
実は亜希子さんが就職した会社は映像制作が専門ではなく、ブライダルビデオ事業部も細々と運営していました。しかしディレクターとして映像制作の第一線で活躍していた亜希子さんが入ったことで、ブライダルビデオのクオリティが一気に上がり、事業部の売り上げも急拡大したそうです。
ところが事業部の従業員は亜希子さん一人だけ。たくさんの顧客からの注文を一人でふらふらになりながらこなす亜希子さんを、夫の山口さんも自らの仕事の傍らでサポートするようになりました。
彼女をサポートするうちに、ブライダルビデオ制作も「目の前の人のため」の仕事だなって思ったんです。ちょうどその頃、視聴率だけで測られるテレビの世界が嫌だと感じていて。だから、僕は視聴率じゃなく「目の前の、出演してくださる御家族のために」と思って番組制作をしていたんですけど、ブライダルビデオはもっとさらに目の前の、個人のお客さまのための仕事。それまで自分がブライダルビデオを作るなんて全然考えていなかったけど、こういう仕事をやりたい、って思ったんです。
そして亜希子さんの妊娠を機に、山口さんもブライダルビデオ事業部へジョインすることを決意。映像制作のプロである山口夫妻により急拡大した事業部は、2008年12月に分社化。山口さんが社長となり、こうして映像会社チェリービーが誕生しました。
分社化したての頃は広告を出せばすぐにたくさんの注文が舞い込み、業績は山口さんいわく「ギャーーーン!っと伸びた」そう。スタッフ数は多い時で14人を抱えていたといいます。
しかしその後、同業他社が増えたことで顧客が分散。売り上げはだんだん下がっていきました。社長である自身の振る舞いも未熟だったと、山口さんは当時を真摯に振り返ります。
僕はクリエイターなんで、いいものを作れば売れるっていう精神で、他社リサーチもしていなかったんですよね。社長業も勢いで「やります」って言ったんで、理念もなければビジョンも無かった。
業績のいい時は、全然お金の計算とか考えもせず、福利厚生として社員みんなでディズニーシーに行ったりしてたんですよ。でも業績が下がってくると、それまで「社員のために」と思っていたことが、僕の中で「社員のせいで」になったんです。福利厚生とかやってる場合じゃないし、給料も下げさせてもらいました。そうするとやっぱり、社長と社員の関係に壁ができますよね。当時は、自分の会社なのに、会社に行くのが嫌でした(苦笑)
そして社員が一人、また一人といなくなっていき、2012年、チェリービーのスタッフは社長の山口さん一人だけとなりました。
山口さん一人になったチェリービーは、2012年、都内から自宅があったさいたま市へ移転し、自宅兼事務所での営業が始まります。移転を決めた理由には、2011年3月の東日本大震災も大きく関係しているそう。
その日の夜は都内の会社に泊まったんですけど、その時に「このままここで亡くなるのはいやだ。僕は家族が好きだから、家族と過ごしたい」と思ったんです。その夜に、これからはやりたいことをやろう、と思いましたね。それまでは「社員を食わさなきゃいけない」っていうプレッシャーがあって、やりたくない仕事も取りに行ったりしてたんです。2012年に自宅兼事務所にしてからは、仕事が楽しかったですね。一人になって、背負ってた責任から解放されて、自分のやりたいことができる!って。
そんなある日、亜希子さんが一枚のチラシを持ってきました。それはさいたま市産業創造財団が主催する「さいたま市ニュービジネス大賞」開催のお知らせ。さいたま市内の経済発展や地域ブランドの開発に貢献するアイディア、新規性・独創性のあるビジネスプランを表彰する催しで、【埼玉の社長に訊く起業ストーリーvol.3】に登場した株式会社氷川ブリュワリー 代表取締役 菊池俊秀さんも受賞されています。
山口さんは制作会社時代にドキュメンタリーを作っていた経験を活かし、ドキュメント動画で企業のファンを作り街を活性化する、という企業向け映像制作事業のビジネスプランで応募。見事に審査委員特別賞を受賞しました。
この受賞がきっかけで仕事が広がり、チェリービーは再び業績を上げていきます。そうして生まれた新事業のひとつが「製造業向けプロモーション動画」です。
チェリービーが手がけた製造業プロモーション動画
こうして事業の幅を広げられたのも、チェリービーの確かな映像制作力があればこそ。特に強みは「ディレクション」だといいます。
ディレクターというのは全体を統括する人で、オーケストラに例えると指揮者。指揮を執るためにはまずクライアントの課題をヒアリングして知らなきゃいけない。その上で、動画の視聴者に何を伝えたいか、どう思ってもらいたいかっていうゴール設定をするんです。「ディレクション」というのはクライアントには伝わりにくい強みなんですけどね。ドローン飛ばせます!とか、 VRできます!っていう方がわかりやすいし伝わりやすいんですけど、それはツールでしかないですから。
これは常々言ってるんですけど、僕は動画を作品だと思っていない。「課題を解決するツール」だと思っているんです。だから「それは動画では解決できない課題だから、チラシの方がいいですよ」って仕事を断ることもあるんですよ。
業績が回復するにつれて、再びスタッフも増えたチェリービー。
都内にいた頃には無かったという経営理念とビジョンも、今は明確になっています。スタッフが増えても目指すところが共有できている今は、どん底時代とは違い「すごくいい感じ」だそう。
僕も家にいるみたいな感じでやれているし、まぁ自宅兼事務所だから実際家なんですけど(笑)、いい感じっすよー、すごくいい感じ。1年前に社内向けの経営計画発表会を初めてやって、「『こだわり』と『想い』を伝える映像会社」という理念と、「埼玉県で一番の映像会社になる」っていうビジョンを掲げました。そこでスタッフも目の色が変わって、ことあるごとに「社長、埼玉県で一番目指しましょう」って言われるようになりましたね。目指すビジョンが見えていて、足並みが揃っているのはすごくいい。経営計画発表会をやって良かったなと思います。
「埼玉県で一番」というビジョンには、どん底時代に味わった経験からのこだわりが込められているそう。
チェリービーは2015年にさいたま市から「CSRチャレンジ企業」の認証を受け、2017年に再認証されています。CSRとは「企業の社会的責任(corporate social responsibility)」のこと。山口さんはCSRに取り組む理由を「一度どん底を見てるので、ちゃんとした経営をやって、良い会社にしたい。営利目的だけでない企業でいたいから」と語ります。
山口さんが取り組むCSRの中でも特に思い入れが強いのが、子どもの知的好奇心を刺激する講義や体験活動を行う「子ども大学SAITAMA」。2017年度には実行委員長を務めました。
子ども大学SAITAMAでは、テーマを決めず多種多様な講座を提供しました。僕が今この仕事をやっているきっかけが小学生の時の一冊の本との出会いだったように、可能性を提供する場でありたいと思ったからです。講座のうちどれか一個でも「あれが好きかも」「これを将来の仕事にしたい」なんて思ってもらえたらいい。そういうことを入学式で子どもたちにも話しました。そしたら修了式に「私は動物の授業で動物の仕事に興味を持ったので、そっちの道に進もうと思います」と発表する子がいて、「もう目指したゴールぴったりやん」って。大成功。大成功っすよほんとに。
子どもたちが楽しそうにしているのが一番良かったです。世の中は可能性に満ち溢れていることを感じてもらえたらいいですよね。可能性しかないですよ、世の中って。
埼玉への移転後、ビジネスコンテストの受賞、CSRへの取り組みと、地域社会とも大きく関わりながら事業を拡大してきたチェリービー。山口さんに「埼玉で社長をしていて良いところは?」と質問すると、「距離感とつながり」という答えが返ってきました。
僕が起業した東京に比べると、埼玉って行政と企業の距離感がすごくいいと思いますよ。ちょっと何かあったら相談しに行けるし、「それならこういうところを紹介できるよ」と動いてくれる。こんな小さな会社が行政と話せるというのも、 距離感が近いからですよね。
ネットワークも、埼玉ならではですよね。起業家同士のつながりも強い。近いから相談もできるし、飲みに行ったりもできるし。東京だったら、企業の数も人も多いから、そこまでできないと思うんですよね。
「埼玉で一番の映像会社」を目指して着実に成長を続けるチェリービーは、2018年12月で設立から10周年を迎えます。今後も年内に事務所の移転を予定しているほか、映像会社ならではのCSRなど、やりたいことはたくさんあるそう。そんな中、今後もこれだけは譲れない、と最後に語ってくれた言葉が印象的でした。
チェリービーの10年間は、山口さんの笑顔と軽妙な語り口からは想像がつかないほどに波乱万丈。事業内容は変化しても、映像制作へのこだわりと「人が好き」という変わらない想いが、山口さんの今の活躍ぶりにつながっているのだと感じました。
1975年7月生まれ。兵庫県洲本市出身、埼玉県さいたま市在住。
中京大学を卒業後、東京のテレビ番組制作会社へ入社、ディレクターとしてドキュメンタリーや情報番組など数々のテレビ番組制作に携わる。その後、株式会社エクセンスのブライダルビデオ事業部「チェリービー」に入社、2008年の分社化に伴い現職に就任。2012年、事務所をさいたま市へ移転。同年、さいたま市ニュービジネス大賞 審査委員特別賞を受賞。2016年、ITVA(国際企業映像協会)日本コンテスト 銅賞・優良賞受賞。「『こだわり』と『想い』を伝える映像会社」として、企業のプロモーション動画や採用ドキュメント動画、ミュージックビデオなどの映像制作を手掛けている。
子どもの知的好奇心を刺激する講義や体験活動を行う「子ども大学SAITAMA」実行委員としても活動。2017年度には実行委員長を務めた。妻と2人の子どもがいる。
2017年6月から株式会社コミュニティコムのスタッフとして、貸会議室6F・シェアオフィス6F・コワーキングスペース7Fの運営に携わり、2020年1月より3代目店長となりました。みなさまにシェアオフィスを快適にご利用いただけるよう尽力して参りますので、よろしくお願いいたします。一児の母で、趣味はラジオを聴くこと。好きな食べ物はおもち、好きな飲み物はすっぱいビール。
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