〈ごあいさつ〉
ももちゃん
(宮崎桃子)
ご覧いただきましてありがとうございます!
この連載では、
シェアオフィス6F・
コワーキングスペース7F・
貸会議室6Fの運営を務める「星野さん(星野邦敏)」が
日々何気なく発信しているFacebook投稿の内容を、マネージャー「ももちゃん(宮崎桃子)」との対談形式で
わかりやすくお伝えするものです。
「IT」や「起業」などの知識がほぼない「ももちゃん」が、Web制作やインターネット広告、不動産運営、さらにはメディア編集や書籍執筆など、様々な分野においてスキルを発揮している「星野さん」にざっくばらんに質問をしていくこの企画。
もしかしたら、
「起業」「IT」「不動産運営」「会社経営」「書籍執筆」「地域活性化」などにおける知識もゲットできるかもしれません。
ぜひ覗いてみてくださいね。
〈登場人物〉
【星野邦敏(星野さん)】
1978年生まれ。埼玉県さいたま市出身。中央大学法学部法律学科を卒業。大学卒業後は約5年間無職でひきこもり生活を送る。ひきこもり時代に趣味で始めたホームページづくりがきっかけとなり、税理士法人でサラリーマンをしつつ、2006年に副業として個人事業主に。2008年1月に専業となり法人化して株式会社コミュニティコムを設立。起業当初は東京都北区が運営しているインキュベーション施設「ネスト赤羽」で3年間を過ごした後、東京都荒川区西日暮里の廃校になった中学校の1教室をオフィスとしてしていたが、東日本大震災の影響で退去命令が出て、それをキッカケに、生まれ育った埼玉県さいたま市に本社を移転してコワーキングスペースの運営も始める。現在は、Web制作・インターネット広告事業をはじめ、コワーキングスペース7F・シェアオフィス6F・貸会議室6Fの運営、貸会議室の送客運営代行事業、地域メディアサイトである大宮経済新聞の編集長など、活動の幅を広げている。2018年5月現在の従業員数は31名(アルバイトスタッフを含む)。
他、一般社団法人コワーキングスペース協会の代表理事、一般社団法人さいたま市地域活性化協議会の代表理事、一般社団法人埼玉を食べるの理事、NPO法人クッキープロジェクトの理事、などを務める。
主な著書に「いちばんやさしいWordPressの教本第3版 人気講師が教える本格Webサイトの作り方」「小さなお店&会社のWordPress超入門 初めてでも安心!思いどおりのホームページを作ろう!」「できるWordPress」などがある。
【宮﨑桃子(ももちゃん)】
1993年生まれ、酉年。茨城県つくば市生まれの埼玉県さいたま市育ち。上智大学法学部在学中にコワーキングスペース7Fのアルバイトスタッフとして1年半働く。新卒で鉄道会社のグループ企業の不動産リノベーション会社に就職した後、ライターとして活動すべく、株式会社コミュニティコムにライターとして復職。
学生時代から環境問題に興味があり、プライベートでは学生の国際会議参加支援を行う。
パンの一種であるベーグルが好きで、日本一のベーグルマニアになるのが密かな夢。
〈初回は若かりし星野さんの深堀企画〉
連載企画第1回目の今回は、起業前の星野さんが何をしていたのかを明らかにします!
インターネット広告事業、Web制作事業、コワーキングスペース・シェアオフィス・貸会議室の運営事業、Webメディアの編集長、WordPress書籍の著者や監修者など、様々な肩書きを持つ星野さんが、起業に至るまでのストーリーを聞いてみました。
〈こんな人、ぜひ読んでみてください!〉
- 無職で実家にひきこもっていた人がその時に何を考えていて、そこからどう抜け出して、当時のことを今どう思っているか。
- 起業を考えているけれど不安が残る。
- 特定の業界での著名人が有名になる前に興味がある。
星野さんの日々のFacebookやTwitterのつぶやきを掘り返していく連載企画ですが、今回から数回に渡って星野さんの昔話をうかがいたいと思っています!
今日は「今、会社の代表取締役をしている人が、起業する前に何をしていたのか?」をテーマに質問させてください。
ももちゃん
よろしくお願いします!
星野さん
[大学を卒業後、働かずに実家にひきこもる]
「株式会社コミュニティコムを設立して起業したのが29歳のとき」ということですが、20代前半はどう過ごしていたのですか?
ももちゃん
22歳で大学を卒業して27歳まで実家にひきこもっていましたね。昼くらいに起きて「笑っていいとも!」を見て、それをビデオ録画しておいて同じ番組を1日3回見るみたいなことを実際にしていて、何もすることが無かったし何もしていなかった。やること無くひきこもってばかりいると人間夜型になるのを身を持って体験しました(笑)。
5年間社会に出たのが遅くなったことが、その後の激しい後悔とコンプレックスになって、そこから一生懸命に働くようになるのですが。
星野さん
「笑っていいとも!」を1日に3回?なんで同じ番組を3回も見るのですか?
ももちゃん
うーん、見ているというかボーとしているだけというか。上手く言葉にできないな。。。ただ、最近、Twitterでこういう漫画を見つけて、こういう心境かな。ひきこもった経験が無いと理解できないかもしれないけど。
星野さん
なかなか理解されないかもしれないですね。。。話を戻しまして、中央大学法学部法律学科を卒業されたということですが、就職活動は?
ももちゃん
しなかったんだよね(汗)。僕が大学を卒業したのは2001年なので、2000年が就職活動時期なのですけど、今だと就職説明会や応募はインターネット経由だと思うけど、僕たちの頃は、まだ実家に送られてくる膨大なカタログのような情報誌やハガキでの申し込みだったと思うのですよね。
今だったら、TwitterやInstagramやFacebookもあって周りの同級生がどのような学生生活を送っているか等も見えやすいので、良くも悪くも同学年との比較が昔以上に出来てしまうと思うのですが、あんまり深く考えていなかったというか。。。
今思えば、一度は大企業に入っておくべきだったとは思っていますね。無い物ねだりなだけかもしれませんが。中小企業と大企業では規模感から組織作りや働き方に違いがあると思うので。そういうことのイメージが沸かないというのは会社の代表としてどうかな、と、今更ながらには思うね。ももちゃんも勤めてくれている通りで、今は数十人規模の会社だけど、これを数百人、数千人にしていくイメージが沸かないというのは、そのあたりのインプットが無いからかもだし。もっとも、起業した当時はずっと1人でやっていたので、今みたいに数十人規模になることも想像はできなかったけれど。
もちろん、もし新卒で大企業に入社していたら、起業を考えたことも無かった僕のような人間は、今みたいに起業はしていなかったと思うし、すると、その後にあった全てのことが無かったと考えると、選択しなかった方の人生のその後は分からないし、何が幸いするのかは事後的に振り返ってみないと分からないかもしれないですね。
星野さん
なぜ就活しなかったのでしょう?
ももちゃん
うーん、ただただ、就職活動をしなかったんですよね。。。なんですかね、意識が超低かったんじゃないですかね。アルバイトは高校1年生から十数個は経験しているけど、あんまり社会人になる意識が無かったのかもね。で、社会に出る入口を見失って、そこからはひきこもってしまうのですが。致命的に社会に出るためのインプット量が少なかったのかなぁ。多くの経験をした今となっては当時なぜそうしてしまったのか考えられないね。
そういう自分の経験もあって、今の僕の会社の学生アルバイトスタッフに対しては、僕たちのコワーキングスペース7Fのスタッフ募集ページにも書いているけど、いわゆる普通のアルバイト以上に、希望があれば色々なところに連れて行ったり、研修もやったり、社会に出る前に色々な知識と経験と人脈を付けてもらいたいという想いは強いね。アルバイトとして採用して関わってくれている学生の子たちには、世の中には多くの選択肢があることを知ってもらって、それを自分の意思で選択してもらいたいなと。僕がそういうことを学生時代に出来なかったので。
僕はどうにか巻き返してこれたと思ってはいるけど、新卒で働かなかったことで、その後に随分と苦労したと自分では思っているので、今の大学生や大学院生には、人生で一度しか使えない「新卒」という権利をぜひ使うべきだと思いますね。様々な業種業態の企業に堂々と話を聞きに行けるというのも新卒ならではだと思うので。
星野さん
[生まれつきの体の疾患を治すために入院する]
今のお仕事であるITや不動産運営といった話題はまだ出てきていませんね。そういった物事に関わるきっかけは何だったのですか?
ももちゃん
インターネットを触り始めるようになったのは、自分でホームページを趣味で作り始めたことがきっかけかな。不動産運営に関してはもっとずっと後の話。
2001年に大学を卒業して、1年2年経った頃、「先天性筋性斜頸」という首の筋肉が出産時に傷付いていてそれが成長とともに固くなってその部分が原因で首が傾いたままという、自分の生まれつきの体の疾患の手術を受けるためにしばらく入院をしました。自分がそういう体の疾患があったということすら、成人するまで気が付かなかったのですが、少し体調が優れない時があって別の病気かと思って大学病院に行ったらそう診断されて。手術をしないと治らないけど今後の人生騙し騙しで大丈夫なくらい軽度ではあったのですが、どうせ無職でやることもなかったし、手術を受けて、手術後半年くらいは安静にしてリハビリもしないといけなくて、その時がとにかく暇で。そんなときに大学の頃に所属していたサークルの友達がお見舞いに来てくれて、ホームページの入門書を差し入れでもらって、暇だったから見よう見まねで、ホームページを作ってみた。例えば、改行するのに<br>とタグを打つとかも知らなかったので。
生まれて初めて作ったのは、入院日記みたいなホームページ。当時はブログもあんまり一般的じゃなくて、HTMLをタグ打ちして作って、その後はホームページビルダーというツールを知って作りました。当時のホームページビルダーのバージョンは6とか7とかだったと思う。
実家のプロバイダのオプションで付いていた10MBくらいのホームページスペースから始めて、その後に、レンタルサーバーのロリポップを借りたかな。今でこそ数GB・数十GBが月数百円なども普通かもだけど、当時は容量は200MBくらいだった気がする。今だと信じられないくらい低スペックだけど、当時はそれでも画期的だったんじゃないかな。2004年くらいの話。
星野さん
なるほど。ただ、その頃まだ小学生だった私には当時のインターネットの普及率があまりピンと来ないですね。
ももちゃん
もちろん今とは比べものにならないけど、もう2003年や2004年だったから、ある程度は普及していたんじゃないかな。スマートフォンはまだ無かったけど。珍しい生まれつきの体の疾患だったのもあって、発症率も確か2万人に1人とかですると、日本人で同じ体の疾患の人って6000人くらいしかいない。なので、同じ症状の人が、僕がホームページビルダーで作った簡単なサイトを見てメールで連絡してきたり、僕が入院していた千葉県の病院に行ったなんて話も聞いたよ。
インターネットって面白いなぁって思ったのはそのときだった。
星野さん
その病気の情報が少なかったのもあって、ホームページへのアクセスも多かったのですね。
ももちゃん
いや、もうあんまり覚えてないけど、1日100PVも無かったんじゃないかな。そもそもそんなにアクセス数とか見てなかったけど。GoogleAnalyticsとかもまだ無かった頃だし。タグを埋め込んだら何かその会社のバナーが表示されるけどアクセス解析取れますみたいなツールを使っていたかも。でも、ニッチな分野のことを情報発信しても、それを必要としている人には情報が届くという感じが凄いというか。これはインターネットならではだと思うので。
起業した後に書籍執筆の機会が多数あったけれど、紙媒体は紙媒体の良さはあるけれども、あまりにニッチすぎると商業出版は難しい。例えば、IT関連書籍だと、本の定価が1500〜3000円くらいで最低でも3500部くらいは売れる見込みが無いと各出版社の編集会議は通らないと思うし。もちろん出版の敷居も高いし。
これがインターネットだと、良い点でも悪い点でもあるけれども、ニッチな分野のことでも気軽に情報発信ができて、本当に必要と思う人にとっては、その受け手の情報取捨選択能力も必要だと思うけど、誰かの役に立つ可能性があるというのは魅力だと思うね。
星野さん
[インターネットでの収入の得方を知る]
そのホームページが収入になったのですか?
ももちゃん
いや、作ったホームページが収入になるのはその後だね。インターネットを通じて得た収入という点では、ヤフーオークションやAmazonマーケットプレイスかな。自宅にあった不要品を出品したりとか、他にも色々。まあ、なんというか、無職でひきこもりということもあって、ハマった時期もあって、月に20万円くらいの収入になった時期もあるね。実家にほぼ居ながら単発の収入ではあるけれどもお金を得られるって凄いなと思った。今だとメルカリでスマートフォンだけで出品も購入もできて操作もラクだけど、当時はスマートフォンは無かったし、デジカメで撮影してUSBで繋いで出品文章を書いて・・・というのが当たり前だった。それで、ヤフーオークションに出品するにはHTMLを知っていた方が出品ページに装飾ができたり、出品用のHTMLソースコードを公開している人がいたりで、HTMLの知識は無いよりはあった方が良かった。
星野さん
そういうことをしていた時期もあったのですね。
ももちゃん
うん、ただ、当時自分の意識がそこまで高くなかったこともあるけれど、個人的にはお小遣い稼ぎになる程度でこれが仕事やビジネスになるなんて感覚は無かった。でも、これは後で話すことだと思うけれど、長野県上田市と埼玉県さいたま市を新幹線通勤で行き来して2地域居住していた時に、バリューブックスさんと知り合って、代表者の中村さんや皆さんと話したり、倉庫を見せてもらったりもしたのだけど、ほぼ同じ時期にやり始めて、彼らは古本屋や中古屋さんから仕入れて来て、それをインターネットで自分たちで売るという、いわゆる「せどり」から始まって古物商許可も取って仕入れから販売までをシステム化・ビジネス化して、今は、年商16億円、従業員数300人を超えている会社もあるかと思うと、やるか・やらないかなんだなとは、今になってみれば思ったりはしてる。僕は当時それをビジネスと捉えて大きくするなんて考えたことも無くて。起業するとかいう発想も当時は無かったんだけども。その後に税理士法人にサラリーマンとして勤め始めるので。
星野さん
[税理士法人で働き始める]
ここまでお話をお伺いしてまだ働き始めてないように思いますが、その後インターネット業界でお仕事され始めたのですか?働き始めたキッカケは何ですか?
ももちゃん
27歳になって、就職活動っぽいことを人生で初めてして、従業員数10人弱の税理士法人に就職しました。もともと当時は無職だったしインプットも少なくて世の中のことも何も知らなかったから普通に安定した職業に就きたいと思っていたし、どんな会社も経理の仕事はあって年に一度は納税することぐらいは知っていたので。税理士試験とか公認会計士試験の勉強もしました。なので、日商簿記検定1級や税理士試験の簿記論とかも合格自体はしています。まあ、今思えば幼稚な発想かもだけど、既にビハインドを負っているので、国家資格を取ればその人生の遅れを取り戻せるし、一生食いっぱぐれることは無いと思ったというところかな。
働き始めた理由は大きく2つあって、1つ目は、それでも大学時代18歳の時から付き合い続けていた彼女が当時いて「将来が見えない」と言われて別れることになったから。いつまでも無職で働く気配さえ無かったら、まあ、そうだろうなと。逆によく26歳くらいまで付き合ってくれていたなと。意外にコレが大きかったかも。2つ目は、今は社会保険制度が変わったので違うけれど、当時は年金の受給資格期間は60歳までに25年を超えないといけなくて、今みたいに遡って払うこともできなかったし、その期間を1カ月でも下回ったら年金をもらう資格が無いということを知ったこと。つまり、当時、国は35歳まで働いていないという人を想定していないんだなって思っちゃって。
他にも、ほら、27歳というと、学生時代の友人が、車や家を買い始めたり、結婚し始めたり、子どもができたりとか、それとなく伝わってくるじゃないですか。さすがにこのまま30歳を超えたらマズイかなーと漠然と思っていたりしたところに、上の2つの理由があって、会計や税務の専門の求人サイトや求人誌を見て、就職活動っぽいことを生まれて初めてしました。
星野さん
サラリーマン時代はどのような仕事をしていたのですか?
ももちゃん
僕が勤めた税理士法人は、トップが公認会計士で大手監査法人を勤めた後に個人でベンチャー企業に投資したりしつつIPO支援(新規上場支援)をしてて、その代表の出資先の1社が上場できて何億円という多額の上場益を得たので組織化しようとしてたタイミングでの初めての求人募集だったみたいで、そんなことを知らずに面接を受けて入社したのだけど、あの時の限られた選択肢の中では、今思えばラッキーだったのかもね。普通、いわゆる従業員10人にも満たないような税理士法人や会計事務所だと、中小企業の税務業務だけだと思うので。
それで、そのトップの公認会計士の親が、そういう典型的な税理士業務をしていて、僕は、僕を雇用してくれた息子さんの公認会計士の方の今では誰しもが知っているような上場企業がまだ小さかった頃のベンチャー投資のような世界やIPOコンサルのような世界のカバン持ち下っ端職員もしつつ、お父さんの税理士が昔から担当しているようないわゆる街の工場や商店街の靴下屋さんとかそういうのも見れた、というのは特殊だったかも。
僕の仕事内容は、代表者や上司に付いて行って言われた雑用を何でもするみたいな、まあ、何も分かってなかったから、まずは色々と覚えるところからだったね。本当に何も知らなかったので。無知の度合いは本当にハンパなかったとは思う。業務としては、上場準備企業のデューデリジェンスや目論見書の作成に至る過程の作業とか、当時の証券取引法監査の実査・立会・確認とか、中小企業だと月次訪問とか仕訳とか、他にも、契約書の製本したりとか、なんとなくITに詳しい人みたいに見えてたみたいで事務所のLAN回線をやったりとかもしていたかな、調べながら。まあ、いわゆる専門職の中で専門の知識と経験を身に付ける過程の下っ端の業務全般だよね。
星野さん
今の星野さんからだと想像できないですね。実際に社会人として働き始めて、どうでした?
ももちゃん
まず、会計や税務や監査などの仕事の前に、ビジネスマナーを何も知らない、ということが恥ずかしかったかな。名刺交換とか事務所に掛かってくる電話の対応とかも全然分からないわけよ。従業員数が10人も居ない会社なんて、誰かが1から10まで教えてくれるという環境ではないしね。見よう見真似だったというか。
今の僕の会社では学生のアルバイトスタッフに至るまでビジネスマナー研修を講師を有料で依頼して、研修を強制で受けてもらってもちろん強制なのでスタッフの時給も払って、皆に取り組んでもらっているけど、そういう自分の経験もあってそうしているんだよね。くだらないように見えて、日本の商慣習とか、ビジネスマナーとかを知らないと、そもそも仕事の前提にすら立てない。この点、大手企業や「新卒」で入社すれば、だいたい研修が用意されていて、あとは先輩も自然と教えてくれると思うんだよね。でも、それって従業員数がある程度居ないと普通は無い。そういうのは身に染みたかな。5年も無職で僕は何やっていたんだろうって。
働き始めてから、ひきこもっていたことの激しい後悔とコンプレックスを毎日感じていて、その気持ちを振り払うことができるまでには随分時間が掛かったと思う。今でもごくたまに当時の頃の様子の夢を見たりもするしね。仕事も何も出来ない自分に悲観している夢とかを。そういう時期があったから頑張れたのだと思うけど。
星野さん
[税理士法人でのサラリーマンと副業、そして夜間大学院]
税理士法人に勤めながら副業をしていたということですが、副業はどのようにしていたのですか?
ももちゃん
平日の朝から夕方までは、税理士法人で会計や税務や監査のサラリーマンをしつつ、平日の夕方から夜はより会計の勉強するために中央大学の社会人会計大学院に通って、深夜と土日は副業になったITの仕事を個人事業主登録もしてやっていたかな。27歳から29歳の頃。西暦だと2006年と2007年かな。2008年1月にはサラリーマンを辞めて法人化しているので。
星野さん
想像するのが怖いほど多忙な日々。。。そこまでできる原動力はなんだったのでしょう?
ももちゃん
新卒で就職をしないで5年間ひきこもり生活を送った後、27歳で初めて税理士法人で社会人というものを経験したときに、本気でヤバい!と思ったことかな。いやいや、言葉にすると上手く伝わらないかもだけど、働いてみて本当に、本気でヤバい!と思ったんだよね。毎日冷や汗をかいている心境というか。何も知らない自分を知って、それまでの自分の生活をもの凄く後悔した。そこで自分の行動と気持ちの持ち方を転換した感じ。
星野さん
どのように?
ももちゃん
一般的な社会人が平日朝9時から夕方17時までの40時間働いているとするならば、自分はその3倍は働いたり活動したりしようと。1日16時間毎日働こうとしたらだいたい3倍だなと。もちろん睡眠時間とかもあるけど、そういう意識で働けば何年かすれば遅れた分は取り戻せるのではないかと本気で思っていたんだよね。無職でひきこもって何もしていなかった5年間のコンプレックスや後悔がとても大きい分、それをバネにして活動していた感じだね。まあ、今思えば、働きながら会計や税務の資格試験の勉強をしていたわけだからそちらに専念すべきだったのだろうけど、そういう心境でも無かったというところだったのかな。より働いている感を優先させてしまったというか。結果、会計税務監査の業界は離れて、異業種のITで起業してしまうのだけど。
星野さん
星野さんはWordPressの書籍をたくさん執筆出版していますが、その頃からWordPressを使っていたのですか?
ももちゃん
いや、初めは前の話した通りで、ホームページビルダー。その後はDreamweaverというソフトだね。今でこそAdobeのソフトになっているけど、当時はマクロメディアという別の会社のソフトだった。あと、今でこそ、Web制作関係の講座とか学校も多いし、スキルの身に付け方とか、インターネット上の情報も多く有るけど、当時はそんなに無かったかもね。
WordPressを使い始めるようになるのは、後で話すけど、起業後だね。WordPressも僕が関わり始めた頃はCMSの中でも日本のシェアは低かったし、当時はCMS(コンテンツマネジメントシステム)でサイトを作ること自体がそこまで主流になってなかったんじゃないかな。
星野さん
[副業の収入が増え続け、副業の年商が1000万円を超え始める]
税理士法人のお仕事は分かりましたが、副業のITはどのようなお仕事をされていたのですか?当時繋がりが無いとなるとお仕事も見つけづらかったのではないかと。
ももちゃん
副業のITの仕事と言っても、例えば、どこかの会社のWebサイト制作の請負案件をこなしていたとかではなくて、当時、自分が資格試験の受験生だったので、その受験生サイトを自分で運営していたという感じだね。そもそも今でこそWeb制作スキルはもちろんあると思うけど、当時は全然スキルが無かったんだ。プログラムは書けなかったし、デザインもできなかったし、JavaScriptはもちろんCSSもよく分からなかったんじゃないかな。それらを身に付けるのは後で話すことになると思うけど起業した後だよ。
当時は、働きながら日商簿記検定や税理士試験や公認会計士試験とかを考えると、当時はあまりインターネット上に情報だったり交流する場所だったりが少なかった気もしていて、勉強しながらそういう情報サイトを趣味で作っていたという感じかな。初めは収入なんて無かったのだけど、そのうち予備校がアフィリエイト広告を始めたり、あとはGoogleAdSenseなどのクリック報酬型広告も出てきて、インターネット広告収入が入るようになって。なので、意図せずに結果的に副業になったという感じだね。
上手くいくようになったキッカケはあって、当時、勤めていた税理士法人の所在地が西新宿だったんだけど、インタースペースというインターネット広告仲介会社も西新宿にあって、たまたまその広告担当者がメールをしてくれて色々とやり取りしているうちに、勤務地が本当に近いですねってなって、ランチをご一緒しましょうとなって、色々と話せたのが大きかったなと。自分はそれまでIT業界の知り合いなんて1人もいなかったから。全部独学だったので。それまで独学でウンウン調べながらやってきたから話を聞いてすぐピンと来た点もあったけど、あぁなるほど、こういう世界もあるんだなと理解できたというか。
メールが来た時点では僕が西新宿でサラリーマンしているとか分からないわけじゃないですか。でも近かったから会って深く話すことができた。ITはどこでも仕事ができると言いつつ、多くのIT企業が都内に集約されているのは、やはり気軽に会える距離にいることで仕事やお金やビジネスが回るのかもしれないよね。
星野さん
副業から起業に至ることってあるのですね。それだけ収入が多かったのですか?
ももちゃん
結局、税理士法人でサラリーマンの時期はちょうど2年くらいなんだけど、なんだかんだ副業始めた2年後には、副業からの収入だけで1000万円くらいになっていたかな。もちろん個人事業主として事業者登録もしていたし税務申告とかもしている感じで。僕がそういうことをしているのも税理士法人の代表者はもちろん、聞かれたら話していたのでだいたいの人は知っていたんじゃないかな。収入までは知らなかったかもだけど。彼は何かしているみたいみたいな。小さい法人だったし、何も言われなかったね。公務員は副業は法律で禁止されているし、大企業に勤めている人も副業禁止みたいなことがあるみたいだけど、そういう発想すら僕には無くて、たまたま勤務してた税理士法人のトップに話しても別にやったら良いんじゃないくらいだったのは、それもラッキーだったのかもね。異業種の副業で、競業避止義務や利益相反取引に該当するリスクも、将来本業のお客さんを持っていってしまうリスクも、全く無いという副業だった点も受け入れやすかったのかもだけど。
その頃の税理士法人での月給は確か20万円くらいでボーナスも無しだったから、サラリーマンとしての給料は額面で240万円くらいだったのかな。社会人になっても実家暮らしだったのでもともとお金を使うようなところも無いしあんまり深く考えなかったけど。本業の収入の4倍以上の副業の収入があるというのは、今改めて考えるとどっちが本業で副業なのかみたいな逆転した収入構成だったかもね。
星野さん
副業で1000万円!凄い!それでサラリーマンを辞めて起業したのですね。
ももちゃん
いや、信じられないかもしれないけど、それでもサラリーマンを辞めるつもりは無かったんだ。本当にそうで、理由としては、まず、それまでの人生において起業しようと考えたことが無かった。考えたことすら無いことはなかなか行動に移せるものではないしね。そもそもインターネットからの広告収入なんて一過性のものかもしれないし、それより税理士や公認会計士になって働くという方が安定的に思ったしね。あと、無職でひきこもり時期が長過ぎて、社会への所属欲求が強かったんだと思う。これは今思えばくだらないことなんだけども、会社勤めって社会に所属している感があるじゃん。僕の父親は銀行員でサラリーマンの家で育っているので、商売を自分でする、事業を自分で興す、ということにピンと来なかったんだよね。それだけ収入が増えても。たまたまみたいな。自分の中では、収入というより、普通の人の3倍の時間を働いたり活動したりする、ということが重要だったので。
星野さん
[大手企業から取引を打診される]
そうなのですね。それでは、なぜ今、会社を作っていて代表取締役をしているのですか?
ももちゃん
そうこう活動しているうちに、誰しもが会社名を知っているような大手上場企業から広告出稿の依頼が来たんだ。直接取り引きがしたいと。つきましてはお会いできませんか?と。2007年の秋くらいだったね。それで、五反田まで話を聞きに行ったんだ。そしたら、向こうは僕がまさか個人でやっていると思わなかったみたい。個人だと取引口座を開けませんと。法人にしてもらうか、この話は無かったことに、みたいに言われたんだよね。広告費などのお金のやり取りにおいて必要な取引口座や信用性、源泉徴収などの関係で、その大手企業の取引対象相手を法人に限定していると。
星野さん
確かに、今の日本の制度上だと、大手企業は取引相手を法人に限定するケースも多いのかもしれませんね。これが「法人化」を意識し始めたきっかけですね。
ももちゃん
そうだね、でも、それでもやはりサラリーマンを辞めて起業する気にはなれなかったんだ。理由はさっき話した通り。そもそも起業するなんて発想が無くてピンと来なかった。あと、やはりどこかの会社に勤めているって、親や家族とかも安心するしね。今の時代、それが中長期的な安定や安心に繋がるかは置いておいて。まあ、今思えば、副業自体を個人事業主から株式会社化して変わらず株式会社として副業をしても良かったのかもしれないけど、会社まで作りながら副業って感じの発想も当時は無かったということだね。
星野さん
[バック・トゥ・ザ・フューチャーを見て、起業しようと決意する]
でも、結局、株式会社コミュニティコムという会社を設立されて起業されましたよね?会社も今11期目と思いますが。
ももちゃん
そうなんだ。それでもやはり迷ってはいたんだと思う。朝から深夜まで、毎日、税理士法人の仕事や、会計や税務の勉強や、社会人大学院もあって、その上でこういう趣味の延長のITのことをしていて、一番芽が出ているのが、どう考えてもITだったんだ。なかなか何となくやっていたことで、大手上場企業から声が掛かって、取引口座を開きたいです、法人化してください、と言われることも、人生で無いだろうしね。このタイミングを逃したら自分の人生でもう二度と無いかもしれないし。
なんだろう、他の例えとして、例えば、蕎麦を作るのが趣味だったとするじゃない。休日は蕎麦を打っていますみたいな。その蕎麦を近所の人に配っていたら、とても美味しいから会社を辞めて蕎麦屋さんを始めたら良いのではないか?ぜひ始めて欲しい!と多くの人が言ってきたとしたら、どうするか。それでも会社を辞めないで蕎麦打ちは趣味のままでも良いだろうし、思い切って蕎麦屋さんを開いてしまうのも自己責任の上でのその人の人生かもしれない。そんな感じと同じかな。例えとして合っていたか分からないけど。
そんなことを考えていた時に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という昔の映画が、確か日本テレビの再放送とかでやっていた記憶があるんだけど、偶然に見たんだよね。
星野さん
バック・トゥ・ザ・フューチャー (吹替版)
バック・トゥ・ザ・フューチャーですか?名前は聞いたことがありますが見たことは無いです。なぜバック・トゥ・ザ・フューチャーを見て起業しようと思ったのですか?確かタイムマシンで過去に戻る映画で、起業とは関係の無い映画だと思いましたが。
ももちゃん
バック・トゥ・ザ・フューチャーを見ていて、マーティという主人公のお父さんのジョージは、学生時代にいじめられていたビフに社会人になった今でも良いように使われていているんだ。それがマーティが過去に戻ったことで、色々とあって、自信を付けて、現代に戻ってきたら全然違う人生になっていて、そのビフのことも使う立場になっている。特に印象的だったのは、過去のお父さんジョージはSF小説を趣味で書いていたんだ。でも、息子であるマーティは自分のお父さんが小説を趣味で書いていたことすら知らない。で、色々な出来事が起きてジョージが自信を付けて、マーティがまた現代に戻ってくるとそのお父さんのジョージの小説が世の中に出ていて実際に本になって出版されていると。
こういう、やった世界とやらなかった世界でその後の人生が変わることって、映画の中だけでなく本当にあるのではないかと。結局、世の中、やるか・やらないかなのではないかと。やっていない僕は、まさにマーティが過去に戻る前のジョージに近いんじゃないかと。やる人生を選択したら、きっと違う人生が待っているはずだと。
違う未来が並行して存在しているみたいなパラレルワールドというのは実際は存在しないと思うのだけど、バタフライ効果ではないけど、その人の選択や存在によって、実はパラレルワールドに近いことは毎日起きるのではないかと。例えば、他の例では、ドラゴンボールの孫悟空が心臓病で亡くなった世界は人造人間にめちゃくちゃにされているけど、トランクスが未来から持ってきた薬を飲んで生きた世界は平和な世の中とか、そういうことって本当にあるんじゃないかと。その人が居たから何かが変わったとか、そういう社会的な影響ってある気がして。
僕は起業しようと考えたことも無かったし、ITに関して学校に通ったこともないしIT業界に勤めたことも無いけど、やるか・やらないかだったら、やった人生の方がジョージではないけど何百倍も有意義になるのではないかと。
まあ、あとは、これを言うと元も子もないのだけど、バック・トゥ・ザ・フューチャーを見終わった後に、改めて考えて、当時29歳の僕が起業して失敗してでもこういう経験しましたという感じで35歳で転職をするのと、このまま10人くらいの税理士法人に勤め続けて35歳で転職をするのって、大企業を辞めたり公務員を辞めたりと違って、別にどちらも大して変わらないなと。もともと実家にひきこもって無職だったので失うものなんて何も無いし、と明確に思えたのも大きいかな。
星野さん
映画を見たことが起業のきっかけなのですね。知りませんでした。
ももちゃん
そうなんだ。それでバック・トゥ・ザ・フューチャーを見た翌日には、税理士法人の代表に「辞めます」と伝えたんだよね。もともと僕が副業で収入が多いのは伝えていて、堂々と副業をしていたし、税理士法人の代表者ももともとはベンチャー投資をしている人なので、理解があったのか、僕がよほど使えなかったのか(笑)、「それは辞めた方が良いですね」となって、「他の職員には私の方から伝えておきます」と言われて、30分後には星野くんは辞めます、というメールが全員配信されていたという(笑)。
そんな感じで税理士法人を辞めて、今でも僕の会社の顧問税理士ではあるので、従業員から顧客になったという感じで、付き合い方は変わったけど、今でも付き合いはあるけどね。会社設立して11期経つので、サラリーマンとして2年間給料としてもらっていた総額以上のお金は顧客として支払ってはいるとは思う。その点では僕ももちろん得ることが大きかったけど、返せてもいるかなと。
多分、あのタイミングで、バック・トゥ・ザ・フューチャーの再放送を見た人は何十万人といたのかもしれないけど、僕みたいにその映画を見て感じた人は居ないかもしれない。書籍とかでもそうだけど、その時の自分の環境やインプットによって感じ方が全然違うというのも面白いよね。
星野さん
長くなってきたので、起業してからの話は次回にお伺いしたいと思います。今日はありがとうございました。
ももちゃん
[無職ひきこもりだった頃を振り返って]
最後に、今は様々な活動をされていて、星野さんが無職でひきこもっていた頃を想像できない人も多いと思います。当時を振り返って、どう思いますか?
ももちゃん
どうもなにも、無職で実家にひきこもっているなんて、無駄でしか無かったね。何も得ることが無かった。あの頃があるから今があるとも思っていない。ただ、その激しい後悔とコンプレックスがあるから頑張れたのは確か。今、僕は39歳だけど、僕ら世代や僕らより少し上の世代のひきこもりも課題として取り上げられたりするよね。僕はもしかしたら今でも一度も社会に出ずに、実家にひきこもっている可能性もあったのかもしれない。そう考えると、20代後半に思い切って社会に出れたのはラッキーだったのかもね。ひきこもり続けた人生と、今の起業して小さい規模ながらも桃ちゃんを始め従業員を雇用して多くの人に囲まれて過ごしている人生は、紙一重だったと思うので。
これは大切だったなと思うこととしては、「他人は自分が思うほど自分に興味が無い」ということかな。僕は自分が同じ世代の人に比べて社会に出たのが遅かったので凄く負い目を感じていたけど、別に周りはそんなことを気にしていないし、結局自分が自分のことをそう思っているだけなのかもしれない。だったら、悪名は無名に勝るではないけど、やった方が良いだろうと。やった人生と、やらない人生とであれば、やった人生の方が何百倍も有意義であるはずだ。自分が居たからこの業界がこうなった、自分が居たからこの地域がこうなった、みたいなことは、ひきこもっているより、起業して自分で活動した方が、ソーシャルインパクトは絶対に起こしやすい。
話を戻すけど、バック・トゥ・ザ・フューチャーや、ドラゴンボールのような、そういうパラレルワールドみたいなことは絶対にあると思う。僕が起業していなければ、WordPressの当時に多くのイベントを開催したり書籍を執筆したりのポジションは他の誰かだったかもだし、コワーキングスペース7Fも存在しなかったし、すると、桃ちゃんが僕の会社で働くことだって出会うことだって無かったはず。
そんなところかな。今でもたまに夢に見るけど、無職でひきこもっていた頃なんて、後悔とコンプレックスでしかない。そういう経験を20代にしたから、凄く考える生き方になっているので、当時のような環境に戻ることは今後の人生で無いと思うけど、改めて考えると、だから頑張れているのかもね。
星野さん
いかがでしたでしょうか?
星野さんの大学を卒業してから起業するまで、2001年〜2007年までをお伺いしました。
この後は、以下のような時系列でお伺いする予定です。次回の更新もぜひ楽しみにしてください!
・IT事業で起業してからコワーキングスペースを作るまで(2008年〜2012年)
・コワーキングスペースを作ってから今まで(2012年〜2018年)
・今とこれから(2018年〜)